【TSUTAYA創始者】増田宗昭の経歴と学歴について。成功の秘訣は一体何だったのか。

【TSUTAYA創始者】増田宗昭の経歴と学歴について。成功の秘訣は一体何だったのか。

2015年10月19日放送の第279回「プロフェッショナル 仕事の流儀」には、TUTAYAの創始者として有名な起業家・増田宗昭(むねあき)さんが登場します。今回の放送では、大阪の郊外に地上8階建て5,000坪の百貨店を建設するに密着するのだとか。

TSUTAYAの創始者として名前だけは知っていたので、これを機に詳しい経歴やなんかを調べてみました。これだけの大企業を一代で築き上げた成功の秘密は何だったんでしょうか。

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プロフィール(経歴)

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増田 宗昭(ますだ むねあき)
生年月日 1951年1月20日(64歳)
出身地 大阪府枚方市

中学、高校

生まれは増田組という土建業を営む裕福な家庭でした。兄弟は姉と妹が一人ずつ。家は典型的な女系家族に生まれた長男として、ずいぶんと甘やかされて育ったんだとか。

幼稚園の時に大きな交通事故に合い、後遺症が残ったこともあって、思春期になっても甘やかされる生活だったそうです。そんな子供時代ですから、回りの男子と比べるとずいぶんと女っぽかったこともあり、いじめの標的になってしまいます。

加えて家には専属のお手伝いさんがいて、何でもやってくれる生活ですから、ますます自分では何もできなくなっていきました。そんな自分に自身を無くし、暗い青春時代を過ごしたといいます。

しかし、高校に入ってから、甘えた自分を叩き直そうと決意。レスリング部に入部して、特訓を重ねて体力面でも精神面でも見違えるように。近所のいじめっ子なんか目じゃないくらいまで成長します。

この時の経験は後々にまで役に立ったでしょうね。自分次第で世界を変えられるという経験は、実際に体験してみないとなかなか分からないものです。

大学と洋裁学校

TSUTAYAで有名な実業家、増田宗昭氏のバックグラウンドは以外にもファッションの世界でした。同志社大学に通っていたそうですが、学生運動が激しく全く授業もなかったんだとか。そんな折「ファッション化社会 欲望の先取り」という本に出会い、直感的に共感したのだと言います。

「これからの世界はデザインが大事。デザインを学ぶならファッションだ。布から服になるプロセスを論理的に知っておきたい。」

そう考えた増田氏は、大学に在学しながら上田安子服飾学院に入学します。服を学ぶなら服飾系の学校に入ることは当たり前の様に感じますが、これは40年以上前の話。当時の洋裁学校と言えば花嫁修業の代名詞ですから、男性でありながら服飾を学ぶというのは、時代を考えるとかなり異端だったでしょうね。

女系家族の環境で育ったとは言え、当時の価値観からすると回りの目も気になりそうなものです。しかも家業は土建業ですからね。よく許してくれたなーと。

これからの時代を自分なりに考察して、大学時代からやりたいことをしっかりと持って行動している人は、今の社会でも珍しいです。流石です。

才能

専門学校で発見した自分の能力は、「演繹的思考、 デザイン」だと語ります。

“演繹的思考”とはまた難しい言葉が出てきました。明確な定義付けをしようとするとどんどん話がややこしくなるし、説明すればするほど「?」が沸いてくるので、“広がっていく感じ”と漠然と言っておきます。

とあるツイートが新聞記事を抜き出して紹介してくれているので掲載します。

ふわっと浮かんだ直感のイメージにどんどん肉付けしていく方法ですかね。

「喜んでもらえる新しい日常の為に」というのはAppleのスティーブ・ジョブスの言っていたことに当てはまります。

TSUTAYA創業

ファッションを学んで、周囲の評価も上々。このままファッションの世界に入ろうと思っていた矢先に、天才デザイナーと言われる高田賢三さんと三宅一生さんが世間を騒がします。

この人たちには敵わないと考えた増田さんは、ファッションビジネスの世界で修行することを決意しました。そして、『ファッション化社会』で紹介されていた「鈴屋」に入社します。

鈴屋では店長や販促ディレクターなどを歴任してキャリアアップを重ねながら10年間勤めました。

退職する1年前の1982年、大阪府枚方市の実家の近くに貸しレコード店「LOFT」をプロデュースしオープンさせます。この店は母・姉・知人など身内総出で運営してもらい大成功を収めています。

この事に手応えを感じてかどうかはわかりませんが、1983年に「鈴屋」を退社。「TSUTAYA」の前身となる蔦屋書店 枚方市」をオープンさせます。その後の経歴は知っての通り、増田さん1代で「TSUTAYA」は日本国民なら誰もが知っている巨大事業に成長しました。

こうして経歴を書くとあれよあれよと躍進しているように感じられますが、至る道のりには想像も出来ない紆余曲折があったに違いありません。

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成功の秘密

「TSUTAYA」は成功したか?という問いにNOと答える人は日本には居ないでしょう。これだけの大事業を一代で築き上げてしまった増田宗昭氏の成功の秘密は一体何だったのでしょう。

バイタリティがあったから?
行動力があったから?
時代を見る目があったから?

確かにどれも当てはまると思いますが、増田氏のインタビューの中で気になる一文を発見しました。少し長いですが、とても素敵なことをおっしゃっておられるので是非読んでみてください。

私が、いじめられても人間不信に陥らず、人を信じることができて、自分を変える決断ができる人間になれたのは、無限といえる親の愛情のもとで、いろいろな経験ができて、それが価値観として自分の中に蓄積されたからではないか、と思います。

親が子を育てるというのは、単に技術を伝達するのではなく、愛情を注ぐこと、子どもを信頼することであって、子どもの成長を心底信頼していることが子どもに伝われば、どんな子どもでもその信頼に応えようとすると思います。

私自身をふりかえると、母が常に言ってきた「感謝」と「約束」を大事にする、これは私のビジネスの糧になっています。子どもとの関係では、私自身は育児に携わることはほとんどありませんでしたが、起業当時は生活費をかなりきりつめていましたし、私たち夫婦が協力して必死に働いてきた背中を、子どもは見てきたと思います。

子どもは子どもですから、私が思い描くような人生を子どもが歩むわけではありませんが、それは子どもが今過ごしている環境と、私が子どものころに過ごしてきた環境とは全く違いますから当然のことだと思っています。

決して押し付けではないですが、この子なら必ずやれる、とまで親が子どもを信頼すれば、子どもはその信頼に応えたい、と思うようになりますよね。本当の夢に突き進むエネルギーを親からもらえるのだと思います。

好きこそ物の上手なれ、という諺があるように、本当に没頭できるものを子どもが見つけられれば、その子は変われるし、すごいことにチャレンジできるようになり、不可能に見える夢も実現できるようになれると思います。親はそれまでの基礎づくりしか出来ません。
引用:文部科学省「子どもと私と 第7回インタビュー」

「子供は親にされたように社会に接する」という言葉があります。まさしくその通りで、自分自身を振り返ってみても思い当たる節がポロポロと。子供にとって親の存在は祝福の様でもあり、一歩間違えると“呪い”にもなりえます。

親と自分の関係に悩む人は、とても数え切れないでしょう。

それじゃあ、親に愛情を注いでもらえなかった自分は不幸で何も出来ないのかというと、それは極端に消極的で矮小な考え方だと思います。どんな時でも、人は前を向いて生きていくしか幸せになる方法はありませんからね。

少し話が逸れてしまいました。これ以上は脱線し続けそうなので、今回はこの辺で。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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  1. By ホックス

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