思ったより腑に落ちていなかった人との「違い」。違いよりも「良い悪い」を先に考えていた男の末路。

思ったより腑に落ちていなかった人との「違い」。違いよりも「良い悪い」を先に考えていた男の末路。

自分ってもしかして周りとちょっとズレてるんじゃ・・・とか、そんなふうなことを思ったことありません?人と違うことをしたい!と思ったことは?安心してください。ちょっとどころじゃないです。ものすごいズレてます。ものすごい違っています。

他人と自分って、本当に驚くほど違っているんですね。そんなことをしみじみと体験した出来事をふと思い出したので、今回はその事を記事にしました。「違っている」ということが、当たり前のようで全く分かっていなかった私の話です。

誰のためになるやら分かりませんが、「違っていること」意識できず「良いか悪いか」ばかりを考えていた自分がどんな目にあったか、違いを強く意識できるようになってどんな風に変わったのか、そんな話をしようと思います。

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息をするようにウソをつく人

3、4年ほど前の話。私は建築業界に勤めていました。卒業してすぐの新人だったこともあって、自堕落な自分としてはかなり頑張った方です。それはもう朝5時に起きて夜中の0時に寝る生活を一ヶ月間休日なしでやりきったこともありました。

建築業界は割とブラックです。まぁ入る前から社長に釘を刺されてはいましたが。

欠勤は一切しませんでした。体調管理にも気をつけていたし、通勤中の空いた時間を使って勉強もしました。メモは常に持ち歩いていましたし、社長の言うことは繰り返し租借して頭に叩き込みました。

それでも、なかなか仕事がうまくいかないんですよ。うっかりしたミスは繰り返すし、人間関係は上手くいかないしで、私は徐々に疲弊していきました。

そんでもってある日、社長に言われたんです。

「なんでミスをウソで誤魔化すんだ?新人なんだし、いくらミスしてもいい。それは当たり前のことだし、俺の仕事はそれをフォローすることだ。でもウソをつかれたらこっちもフォローできないよ」と。

その時初めて気がつきました。私はミスを恥じてウソをついて誤魔化して、周りに尋常ならざる迷惑をかけていたと。クソ野郎ですね。

自覚がないといっても、ウソをついている意識がないわけじゃないんです。ウソをつくという選択肢に、全くブレーキがかからないんです。

普通の人はウソつかないという衝撃!

よくよく振り返ってみると、かなり幼い頃からそうしてウソで誤魔化すというようなことを、繰り返しやってきました。それはもう癖になってしまっていて、それこそ息をするが如くウソをつくようになっていました。それは家庭環境のせいでもあるんですが、親を責めても仕方ありません。

自分が自覚なしにウソをついていたことも衝撃でしたが、それよりもっと衝撃的だったのは「普通の人ってウソつかないんだ!!」ということでした。自分が気付いていない所で、人との大きな違いがあったことに驚きました。

そうしてよくよく観察して見ると、自分と人はほとんどの面で違う、むしろ同じ所なんて数えるほどもないということに気付きました。頭では分かっていたんですけどね。

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違うことよりも良し悪しを先に考える男

その後、くだらないウソをついてしまう自分がどうしても許せず、恥ずかしくて、ついには会社を辞めて田舎に帰って1年間ほど引き篭もる生活に突入します。

それからしばらくは自分の不甲斐無さに悩み苦しみましたが、私が救われたのは「ウソをつかない様に気を付ける」ではなく、「これはもう癖だし仕方ねえわ!」という開き直りでした。

開き直ってみると、良い悪いに捕らわれ過ぎていてありのままの自分が認められないどころか、知りもしなかったことに気付きました。そりゃあ当然、良い悪いばっかり考えて違いを意識できないんだがら、ありのままの自分がどんなもんなのか分かるわけがありません。

「良いか悪いか」で考えれば、若いうちなんて特に7割強ぐらいが「悪い」に分類されて当然です。若い人にうつ病が多いわけですね。

ただ違っているだけで、そこには良いも悪いもない。良い悪いは常に相対的で、それを考える時には「~にとって」という言葉が必ず必要です。絶対的に悪いもの、良いものは存在しないのではないかとすら思います。多分、深く考えていけば何かしらはあるんでしょうけれども。

ともあれ、そんな体験から人が他人を、あるいは自分が自分を責めるのは「違っている所を認められない」というだけで、決して自分が悪いってわけじゃないんだなと思うことが出来るようになりました。

ウソをつくのは会社にとってかなり悪いことなんですけどね・・・!でも社長は決して私を責めていたわけではなく、私の人との違い、つまり悪い所もひっくるめての“個性”を知ろうとしてくれていたんだと、今だからこそ分かります。

自分を責めていたのは社長ではなく、他ならぬ自分でした。あの時、自分の人との違いにもっと寛容であれたなら、無自覚にウソをついてしまう自分と向き合って、新しい道が開けたかも知れません。

意外と腑に落ちていない「違っている」ということ

「みんな違ってみんないい」あまりにも有名な金子みすずの詩の一節です。子供の頃に知って何度も繰り返し目にしてきたにも関わらず、「違っている」ということが腑に落ちていなかったことに驚きます。

良いか悪いかではなく、自分が人とは違っているということ、また人もそれぞれ違っているということを強く意識することが出来るようになって、人のことを分かろうとする努力が出来るようになりました。人間関係の土俵に初めて立てた気分です。

これまで自分のあらゆる所を恥じて、つかなくても良いウソを至る所でついてきましたが、それも必要なくなりました。「あ、やべっ!やっちまった!!」って時はまだ高確率で出ますけどね(笑)
現代カウンセリングの祖と言われるカール・ロジャースも、なんかそんなようなことを言っていた気がします。よく覚えてないんですけど。せっかく紹介したんでネットで拾ってきた名言はっときますね。

面白い逆説なのですが、私が自分のありのままを受け入れることができた時、私は変わっていくのです。
私たちは、自分の現実の、そのあるがままの姿を十分に受け入れることができるまでは、決して変わることはできません

– カール・ロジャース

「十分に」というのがミソですねー。

世の中には人と違うことを望む人もいれば、人と違うことを恐れる人もいます。ですが私が思うに、恐れずとも望まずとも人と自分は既に違っています。それをよくよく認めることが出来る人ほど、優しく力強い人生を生きられるのではないか。

近頃はそんなようなことを考えています。

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