トルコ人とクルド人の暴動「遠距離ナショナリズム」とグローバル化

トルコ人とクルド人の暴動「遠距離ナショナリズム」とグローバル化

昨日25日、トルコ総選挙を11月1日に控えたトルコ政府が日本に住む有権者の在外投票を実施し、午前7時ごろには500人以上の有権者がトルコ大使館に集まりました。

しかし、そこで起きたのは乱闘騒ぎ。トルコ人とクルド人の対立による小競り合いが断続的に発生し、トルコ大使館前は機動隊が配備される大騒動に発展しました。

けが人は警察官2名を含む12人。そのうちの9人が病院へ搬送され、鼻骨骨折で全治4週間の重傷を負った人も。

なぜこんなことが起こったのか。有識者は「遠距離ナショナリズム現象」が原因だとしています。今回はこのニュースを受けて、民族と国家の考え方や世界中で進むグローバル化とナショナリズムについて掘り下げてみました。

Sponsored Link


遠距離ナショナリズム現象とは

“ナショナリズム”という言葉は日本語では国家主義、愛国主義、国粋主義、民族主義、国民主義などと訳されていますが、割りとふんわりとした概念です。そもそも日本は島国の単一民族ですから、こういう感覚はあまり育っていないのかもしれません。

英語の“National”の語感は“ある地に生まれる”という感覚で、人に注目すると民族、国民を指し、地に注目すると国を意味します。ちょっとこんがらがって来ましたね(汗)

今回のケースでは、クルド人がトルコからの分離独立を掲げている「クルド労働党」という党があり、その拠点をトルコ人が空爆。クルド人の国内での反発が膨らんでいることから、トルコ人vsクルド人の構図がより明確に出来上がってしまっているということが背景にあります。

そのイメージを日本で膨らませて起こったのが「遠距離ナショナリズム」ということですが、その背景にはグローバル化という概念が見え隠れしています。

ナショナリズムとグローバル化

この事件を見ていて、真っ先に思ったのは、「グローバル化が進んでるなぁ」ということでした。

国際市場経済、通信技術、移動の容易さ、グローバル化の波はとどまることはなく世界中を押し流していきます。その結果、“Countory”という国境に縛られた国ではなく、“National”の概念を根底に国は国境を越えて拡大していきます。

今回のケースは、そのことをより顕著に表していると思います。

グローバル化が何をもたらすかということは、メリット、デメリット共に色々な場所で様々な事が言われていますが、おそらくもうこの流れは止まることはないでしょう。適応していくしかありません。

日本でクルド人とトルコ人が生活していても何の問題もないが、トルコで実際に起きている民族対立が、イメージによってナショナリズムを大きくし、今回の事態に発展した。

エルドアン派対反エルドアン派という政治対立ではなく、構造的な問題である民族対立であるため、今後も日本で同様の事態が続き、クルド人とトルコ人による殺し合いが起きる可能性もある。法規を厳正に適用し、どんな民族であろうと違法行為があれば、しっかり取り締まることが必要だろう。

という一文はニュースサイトからの引用です。

法を厳正に適用するという意見には賛成です。

しかしかと言って、「トルコのことだし日本は関係ないよね。日本は日本の法律があるからね。」という態度ではなかなか解決には向かわないのがグローバル化の国際社会だったりするのではないかという漠然とした懸念もあります。

そもそも、法を覆そうという連中に、法の規制が役に立つのかどうか・・・。

目下の問題として、トルコ大使館でのこの騒動が『局部的な「遠距離ナショナリズム」が日本で起こった』というわけではなく、きっと潜在的な「遠距離ナショナリズム」は至るところに存在すると思います。昨今世界を騒がしているテロの問題だって、裏を返せば根底にはナショナリズムがあるわけですから。

今は平和な日本も、安保法案の裏に見え隠れする戦争の二文字に揺れています。「この騒動は何か大きなうねりが表層に現れてきただけなのではないか」そんな思いが拭いきれませんでした。

Sponsored link

疑問、質問、反論、感想などございましたらお気軽にどうぞ!

*